「食の世界を変える伝道師」竹田クニ氏のストーリー原点は高校時代の皿洗いバイト1963年、横浜市に生まれた竹田クニ氏。テニス部に打ち込む普通の高校生だった彼の人生を変えるきっかけは、意外にも「皿洗い」だった。「どうしてもエレキギターが欲しかったんです。親は買ってくれない。なら自分で稼ごう」高校生の頃から食に興味があった竹田氏は、渋谷にある高級中華料理店でバイトを始める。そこで彼は人生を変える出会いを果たす。それは「本物の料理」との出会いだった。「宴会後に余った料理を食べさせてもらったんですが、とにかく美味しかった。そこで働く人たちもすごく面白くて、料理の世界に魅力を感じました」半月ほどの短期バイトで稼いだお金で念願のギターを購入。この体験は単なるアルバイト以上のものだった。美味しい料理と、そこに情熱を注ぐ人々の姿が、若き竹田氏の心に深く刻まれた。大学受験の挫折と再起高校3年の夏、テニス部を引退した竹田氏は模擬テストを受けて愕然とする。偏差値38。真剣に勉強していなかったツケが回ってきた。「親に土下座をして浪人させてくれと頼みました。本当に人生のピンチでした」浪人時代、竹田氏は一切のアルバイトをせず朝から晩まで代々木ゼミナールに通い詰めた。その一年間の集中力が実を結び、念願の早稲田大学商学部に合格する。「常に自分の限界に挑戦する。夢中になると止まらなくなる。この性格は浪人時代に鍛えられたと思います」大学時代—流行を追い、食を楽しむ大学に入った竹田氏は、まるで反動のように自由を謳歌した。スキークラブに入部し、冬は雪山に通い詰める。体育会気質の竹田氏は「やるなら真剣勝負」の精神で取り組んだ。「毎年新しい板やウェアを買っていました。新しい技術がどんどん投入されて、それに追いつきたくて夏場は集中的にバイトをしたんです」バイト先に選んだのは自由が丘のイタリアンレストラン。当時バブル期で、イタリア料理が大流行していた時代だ。早稲田から自宅までの中間地点にあるトレンディな街で、流行を肌で感じながら働いた。「この時期に育まれたのは、トレンドを追う感覚と食への関心です。今振り返ると、マーケティングセンスの原点かもしれません」しかし大学生活を満喫するあまり、竹田氏は4年次に留年が確定する。親に再び頭を下げつつも、「せっかく暇ができたから」とヨーロッパに一ヶ月間の食の旅に出た。様々な国の料理を巡るこの旅は、竹田氏の「食」への情熱をさらに深めることとなった。リクルート入社と「現場」との出会い大学卒業後、竹田氏は広告業界を志望して就職活動を行った。最終的に心を動かしたのは、リクルートが発行する中古車情報誌「カーセンサー」の創刊ストーリーだった。「ある部長が中古車情報誌を作りたいと言って一度却下された。しかし諦めずに直談判して実現させた。その仕事する男のかっこよさに惹かれたんです」1988年、株式会社リクルートに入社した竹田氏は、希望部署ではなく総務部に配属される。その後、特殊技能を持つ人材の転職支援事業「ガテン」への異動が転機となった。「建設、運輸、土木といった業界を担当しました。華やかな広告業界とは真逆の現場を見て、仕事の本質的な価値を学びました」竹田氏はクレーン会社の社長が元暴走族の若者たちを一から育てる姿や、個人飲食店の店主たちの熱い思いに触れる。食だけでなく、人を育てる喜びや、ビジネスを通じた社会貢献など、多様な価値観に出会う日々が続いた。「学歴はなくとも素晴らしい人がたくさんいることを知り、本当の意味での"仕事"を見せてもらいました。この時期の経験が私の仕事観を形成したと思います」地方から都市へ—様々な視点を養う人材関連事業で経験を積んだ後、竹田氏は静岡支社長として地域密着型の仕事に取り組む。地元の経済団体や業界組合との交流を通じて、地域社会や産業界全体を見る目も養われた。「地方の視点から都市を見ることで、新しい発見がありました。地域に根差した商売の在り方、地元の名士たちとの付き合い方など、東京では得られない経験ができました」2000年代に入り、竹田氏は旅行情報事業「じゃらん」の営業部長に就任。紙メディアからインターネットへの移行期という大きな変革期に直面する。「紙からデジタルへの移行は"スクラップアンドビルド"ではなく"シュリンクアンドグロー"でした。古いものを縮小させながら新しいものを育てていく—非常に難しい仕事でしたが、時代の変化を生で体験できました」竹田氏は旅行業界で台風の数や選挙、オリンピックなど様々な要因が市場に与える影響を肌で感じ、マーケット分析の力を磨いていった。この経験は後に外食産業の分析にも生かされることになる。外食産業との本格的な出会い2011年、竹田氏は外食産業に本格的に関わるチャンスを得る。飲食情報事業のシンクタンク「ホットペッパーグルメリサーチセンター」の初代センター長に就任したのだ。「右も左もわからなかったので、ありとあらゆる勉強会や懇親会に参加しました。飲食業界ならではのペルソナを構築し、定期的な市場調査を立ち上げました」リクルート本社の経営企画組織「コンピタンスマネジメント室」を兼務した経験も生かしながら、竹田氏は外食産業の進化発展に貢献するという明確なミッションを持ち、業界研究に没頭していった。「外食業界はマーケティングが弱いなと感じました。トレンドは何かという論調が主流でしたが、そうではなく、市場全体の動きをウォッチできるような定期調査を立ち上げようと思ったんです」一時的に別部署に異動となった後も、外食業界への思いは強くなるばかり。「もう一度リサーチセンターに戻りたい」と希望し、「外食総研」のエヴァンジェリスト(伝道師)として復帰した。「飲食業界のコンピタンスマネジメント室のような存在になりたいと思ったんです。データと現場の両方を見ながら、業界全体の発展に貢献したかった」独立と新たな挑戦52歳を迎えた2016年、竹田氏の心に新たな火が灯った。タイへの出張の機内で偶然観た映画『ファウンダーズ』。マクドナルドのフランチャイズビジネスを展開したレイ・クロック氏の物語だった。「映画の中でレイ・クロックが52歳でマクドナルドのフランチャイズ事業を始めた姿に心を打たれました。当時のリクルートの創業者も52歳でした。同じ52歳の自分も、新しい挑戦をしてみたいと強く思ったんです」それまでの経験から、外食業界は産業として発展する可能性を秘めていると確信していた竹田氏。「リクルートにしがみついていても良い収入は得られるけれど、もう一勝負したい」という思いが湧き上がった。「飲食業界の方々の熱い思いに応えたかったんです。自分がリクルートで学んできたマーケティングやストラテジーの知見が役に立つはず。それを自分のライフワークにしようと決意しました」こうして竹田氏は29年間勤めたリクルートを退社し、自身の会社「株式会社ケイノーツ」を立ち上げた。退社を申し出た際、「竹田さんにしかできない仕事があるから」と引き止められ、ホットペッパーグルメ外食総研のエヴァンジェリスト(伝道師)は業務委託として続けることになった。2016年8月には著書『外食マーケティングの極意』を刊行し、業界の課題と未来について独自の視点で解説。外食マーケティングのスペシャリストとして、講演活動やコンサルティング活動を精力的に展開している。「イミ消費」で業界に革命を竹田氏が業界に大きな影響を与えている概念の一つが「イミ消費」だ。これは消費の歴史的変遷を「モノ消費(1970年代〜)→コト消費(2000年代初頭〜)→イミ消費(2010年代〜)」と整理したものである。「イミ消費」とは、商品やサービスを消費することで生まれる社会貢献的側面を重視する消費行動を指す。環境保全、地域貢献、フェアネス(正義)、歴史・文化伝承、健康維持などをキーワードとしている。「ある日突然、"モノからコトで、コトからイミ"という言葉が自分の中に浮かびました。消費者の価値観の変化をうまく言い表せないかとずっと考えていたんです」竹田氏はこの概念を業界に広め、単なる「美味しさ」だけでなく、食材の産地や生産者とのつながり、環境への配慮など、「食事の持つ意味」に重きを置く飲食店の価値を高める活動を続けている。現在、オーガニック食材を使用する店舗や、地産地消を謳う飲食店、社会貢献活動と連携したレストランなど、「イミ消費」の価値観に応える店舗が増加。竹田氏の提唱した概念は、業界に新たな風を吹き込んでいる。外食産業の未来のために竹田氏が飲食店に提案する「付加価値」は5つのキーワードに集約される。それは料理人の腕が光る「調理・提供方法」、産地や調達ルートにこだわった「食材」、料理や食材にまつわる「ストーリー」、非日常を演出する「空間」、そして心のこもった「サービス」だ。「飲食店はいま、他店との競争だけでなく中食・内食とも競わなければならない時代です。消費者は"その店に行くからこそ味わえる価値"を求めています。その価値をどう創り、どう伝えるかが成功の鍵なんです」竹田氏のコンサルティングは、具体的な成果も生み出している。大手ファミリーレストランチェーンに「一人で食事をする価値」を提案しキャンペーンが実現した例もある。従来の「ファミリー」向けというイメージを超え、一人客のニーズを細分化することで新たな市場を開拓したのだ。60代を迎えた現在も、竹田氏は外食産業の発展に貢献するという使命感を持ち続けている。特に第四次産業革命という大きな変革の波に、外食産業がいかに対応すべきかを説いている。第四次産業革命とは、IoT、AI、ロボット技術、ビッグデータなどのデジタル技術が融合し、産業構造や社会システムを根本から変える技術革新の潮流だ。外食産業でも予約・決済のデジタル化、顧客データの活用、調理の自動化、デリバリープラットフォームの台頭など、あらゆる場面でテクノロジーの活用が進んでいる。「第四次産業革命をちゃんと着地させることは、外食産業にとって、そして日本にとって重要なテーマです。機械でできることは機械に、人がやるべき仕事を人に。この役割分担をしっかり考えることが大切なんです」コロナ禍と外食産業の未来2020年、新型コロナウイルスの感染拡大は外食産業に未曽有の危機をもたらした。竹田氏はこの苦境を「進化の契機」と捉え、業界全体に向けたメッセージを発信し続けた。「外食産業はコロナ以前の状態には戻りません。しかし、それは悪いことではなく、これまでとは違った形に再生・進化していくチャンスでもあるんです」実際、コロナ禍を経て飲食業界は大きく変化した。テイクアウトやデリバリーの強化、オンライン飲み会対応、密を避けた店舗設計など、様々な創意工夫が生まれている。竹田氏はそうした変化を肯定的に捉え、「未曽有の危機から生まれる知恵や勇気が、新たなイノベーションにつながる」と説く。小さな皿洗いから大きな産業を見つめる目へ竹田氏の現在の活動は、これまでの様々な経験がつながって生まれたものだ。高校時代の皿洗いバイトから生まれた「食」への興味、大学時代に培った「夢中になる力」、リクルート時代に身につけた「データ分析力」と「戦略的思考」、そして様々な業界で出会った「熱意ある人々」との交流。竹田氏に飲食業界の魅力を聞くと、「熱い思いを持った人たちの世界」という言葉が返ってくる。「この業界には情熱を持って取り組む人が多い。そこには人間らしい熱さがあります。飲食業はアートとサイエンスの両面を持っています。おいしい料理を作るアートの部分と、それをビジネスとして成立させるサイエンスの部分。この両輪があって初めて持続可能な産業になるんです」竹田氏はその「サイエンス」の部分、特にデータ分析や消費者心理といった領域から業界を支援し続けている。これはリクルート時代に身につけた視点だ。「興味関心が尽きるまで」この業界に関わり続けると語る竹田氏。その言葉には外食産業への愛情と、よりよい未来を創造するための熱意が溢れている。高校生の小さな皿洗いバイトから始まった彼の旅は、日本の食文化と外食産業の未来を照らし続けている。