レストランのサポーターとして歩む道「食に関わるビジネスに携わる人たちと、もっと一緒に輝きたい」株式会社ケーススタディ代表取締役・荒井静雄氏はそう語る。現在、レストランテック協会顧問、飲食店経営コンサルタントとして多方面から飲食業界を支える彼だが、この世界との出会いは幼い頃にまで遡る。美食との出会い - 父親から受け継いだ味への探究心荒井氏の飲食への目覚めは家庭環境に根ざしていた。美味しいものが好きな父親の影響で、幼い頃から様々な飲食店に足を運ぶ機会があった。高校生時代、友人たちがファストフードチェーンに行きたがる中、荒井氏は大阪・道頓堀の老舗「カレーショップはり重」へと足を向けた。「同級生に嫌がられたけど、マクドナルドと値段はそんなに変わらないんだよ。同級生たちは老舗みたいな店に行き慣れていなかった。その時に『ああ、僕はいろんなところに連れて行ってもらっていたんだな』と気づいた」美味しいものへの探究心は、荒井氏の根底に流れ続ける情熱となった。料理と労働の始まり - 中学生のうどん屋バイト飲食業との最初の接点は中学3年生の夏休み。友人の家が営むうどん屋で、荒井氏は皿洗いや仕込みを手伝った。正式なアルバイトではなく、お小遣い稼ぎだったが、これが彼の初めての職場体験となる。「バンドで使うマルチトラックレコーディングの機材を買うために、2週間働かせてもらったんだ」この経験は彼に労働の尊さを教え、また飲食業の世界への第一歩となった。バンドと青春 - 夢を追いかけた日々荒井氏の10代から20代前半は音楽に情熱を注いだ時期だった。中学1年の夏休みにサッカー部を辞め、バンド活動を始める。当時のサッカー部は「水を飲むな」といった昭和的な厳しさがあり、小学校時代に経験した先進的な指導とのギャップに嫌気がさしていた。「バンドやろうぜ」と誘われたのを機に、音楽の世界へ飛び込んだ。親にギターを買ってもらい、20歳まで熱心に活動を続けた。高校時代は部活には入らず、バンドとバイトの日々。養老乃瀧というレストランでアルバイトをしながら、自主的にライブを企画し、チケットを売り、コピーバンドからオリジナル曲の演奏へと活動を発展させていった。大学生活とピザ屋の経験 - 経営の基礎を学ぶ大阪芸術大学に進学した荒井氏は、小論文と面接だけで受かったことを振り返り笑う。高校時代は勉強よりもバンドとバイトに熱中していたが、大学では意外にも真面目に単位を取得。2年生までに100単位を取得し、さらに図書館司書の資格も取った。大学4年間を通して、彼はピザデリバリー店でアルバイトを続けた。その間に店長が4回も変わる状況を経験し、いつしか彼自身が新任店長に発注方法を教えるようになる。この経験が、後の飲食店サポートの仕事に生かされることになる。バンド活動は20歳で終止符を打った。「音楽で飯が食えるか食えないか考えた時、自分より才能のある友人ですら厳しいと思った。そんな戦場にいたら絶対に無理だと冷静に思って」現実を見つめる冷静さと、新たな道を模索する柔軟さ。この姿勢が後の彼の飲食業界での活躍を支える礎となった。就職氷河期とぐるなび入社 - 営業マンへの転身大学卒業を控え、就職活動に苦戦した荒井氏。就職氷河期の2001年、転職情報誌で見つけたぐるなびの求人に応募する。「営業経験者募集」の条件に経験ゼロながらも、勇気を出して挑戦した。面接では奇策に出た。自ら調査した「ぐるなびに載っていないけど美味しいお店」80店舗のリストを持参したのだ。「面接官がそのリストを見ながら『ここ美味しいよね』『ここ美味しいんや、やっぱり』と盛り上がり出して、面接が面接になっていなかった。それ以降何も質問されなかったので『営業経験がないからやっぱりダメですか?』と聞いたら『いや、君は採用だよ』と言われた」こうして契約社員として採用された荒井氏。基本給11万円プラス出来高という厳しい条件だったが、彼は食に関わる仕事に就けたことを喜んだ。苦難の京都営業 - 人脈の大切さを学ぶ初任地は京都の祇園エリア。飲食店オーナーに会うために飛び込み営業をするが、昼間の祇園エリアにはオーナーがお店にいることが少なく、多くの店ではオーナーが不在という壁に直面する。「30セットの営業資料を渡されて『これがなくなるまで帰ってくるな』と言われた。でも相手がいなければ取れるわけがない」打開策として彼が選んだのは、夜中に営業回りをすること。ある日、5席ほどの小さな焼き鳥屋で食事をしながら嘆いていると、店主が「俺から紹介だ」と言って近隣の店を紹介してくれた。「あの焼き鳥屋のおじさんが最後に『俺も2店やってるから契約したるわ』と言ってくれて。それが全部達成できた最後の助け舟だった」この経験が、荒井氏に飲食業界の人々の温かさ、そして人脈の大切さを教えた。成長の軌跡 - 神戸営業所長からぐるなび大学へ苦労の末、京都から大阪・難波エリアへと異動。ようやく営業成績も上がり始め、次第に頭角を現していく。その実績が認められ、神戸営業所の立ち上げに抜擢された。「神戸では自分の城。楽しかったね。飲食店経営者の人たちといつも飲みながら仕事をしていた」営業所に併設された「ぐるなび大学ルーム」という研修施設に着目した荒井氏。週に数回しか使われていない施設がもったいないと考え、自主的にイタリアワインのセミナーや農商工連携の勉強会を企画し始めた。「飲食店経営者が自然と集まる場を作れば、わざわざ営業で飛び込む必要がなくなる」この取り組みが評価され、荒井氏は31歳でぐるなび大学の総責任者に抜擢される。全国25箇所以上の拠点で年間3,000回以上ものセミナーを監修・運営するという重責を担うことになった。「企業理念の『レストランのサポーター』という言葉に深く共感していた。飲食店の皆さんの成功を手助けすることが、自分の生きがいになっていった」新たな挑戦 - 独立と自己実現の道荒井氏はぐるなびで17年間勤め上げた後、次のステージへと歩みを進める決断をする。「レストランのサポートという使命をさらに広げ、自分の理想とする形で実現したいと考えた。大阪を拠点にして、これまでの経験を生かした新たな飲食店支援の形を模索したかった」2019年、荒井氏は独立。株式会社ケーススタディを設立し、飲食店向けのセミナーや研修事業をスタートさせた。しかし、半年後に新型コロナウイルスの感染拡大が始まる。「セミナーが主な仕事だったから、人が集まれなくなって大変だった。飲食店の人たちも『そんなどころじゃない』状態だった」危機の中でも、荒井氏は飲食店のサポートに力を注いだ。困りごとの相談に乗り、時には人材のマッチングを行う。そして、飲食業界の課題に挑戦するために、様々な実験的な取り組みも始めた。「飲食業界の未来は、人にしっかりお金をかけて人の魅力で感動点を作る方向か、まったく人を使わない方向か、大きく分けるとその2方向になっていくと思う」飲食業界の魅力 - 人と食が織りなす感動の世界荒井氏が飲食業界に魅了され続ける理由は何か。それは「人の面白さ」だと彼は言う。「飲食店の経営者には本当に面白い人が多い。そして飲食店に対するリスペクトの気持ちを持った人たちと過ごす時間は、本当に楽しい」中学生の時にうどん屋で皿洗いをしていた少年が、今や業界を代表するコンサルタントとなった。その軌跡は、食に関わる仕事の無限の可能性を私たちに示している。「これから飲食業は大変革の時代になると感じています。良い傾向ばかりでもないでしょう。でも、食が大好きなお客様たちのために、一緒に生き残っていきましょう!」荒井氏は今日も、レストランのサポーターとして飲食業界の未来を明るく照らし続けている。その姿は、飲食業界に魅力を感じる多くの人々の道標となっている。