野球で培った忍耐力と人を惹きつける力 ―株式会社スマイルリンクル 代表取締役 須藤剛氏の飲食業への情熱「私が飲食店をやっている理由は一つ。私なんかが他人を幸せにできるから」東京・神田を中心に「Big-Pig」や「酒場ゴロー」など8店舗を展開する株式会社スマイルリンクルの代表取締役社長、須藤剛氏はそう言い切る。41歳の現在、飲食業界の第一線で活躍する須藤氏の原点は、遠く離れた場所にある。高校野球が教えた忍耐の価値福島県出身の須藤氏は、中学時代をやんちゃな少年として過ごした。しかし野球が得意だった彼は、甲子園常連校である学法石川高校で野球に打ち込む日々を送る。「超厳しい環境でした。高校一年で初めて先輩に教えられたのが『一年は奴隷、二年は平民、三年は神様』というこの順番です」名門校で経験した厳しい上下関係。この経験が彼の「忍耐力」を培い、飲食業界を生き抜く土台となった。夢を失った18歳、新たな道高校3年、野球の試合に敗れた瞬間、須藤氏は突然進路を考える必要に迫られた。それまでは野球一筋だったが、夢を失った彼に残された選択肢は限られていた。「野球が終わった瞬間から何もすることがないんです。高校3年の夏に就職を見つけなきゃいけないって言われても、何もやりたいことがない」その時、義理の叔父である森口康志氏(現スマイルリンクル会長)からの誘いで、上京し飲食業界に足を踏み入れることになる。森口氏は洋服の青山の敏腕セールスマンから独立し、飲食店を経営していた憧れの存在だった。「格好いいおじさんでした。工場勤務や建設現場、営業の仕事と飲食店の選択肢がある中で、飲食店がとても面白そうに見えました」そのきっかけで飲食業に入ったが、最初の1年は苦労の連続。地元の友人たちが遊んでいる中、自分は朝から晩まで働くことに悔しさと「見ていろよ」という思いがあった。転機 - 「ありがとう」の価値入社して2年目頃、須藤氏は飲食業の魅力に目覚める。それはお客様からの「ありがとう」という言葉だった。「お客さんに喜んでもらってお金がもらえる、それを間近で感じられる飲食って素敵だと感じた瞬間があります」自分が作ったものを「美味しい」と言ってもらえる喜び、「お兄さんすごいね」と声をかけられる喜びが、彼を飲食業の世界に引き込んでいった。23歳の店長就任 - マネジメントの壁5年目の23歳で八重洲店の店長に抜擢された須藤氏。しかし、自分がプレイヤーとして優れていることと、人をマネジメントすることの間には大きな壁があった。「命令だけでは人は動かないという当たり前のことがわかりませんでした。『これやれよ』と言っても、やる意味がわからなければ人は動きません」当時の彼は部下にプレッシャーをかけ過ぎ、結果的にチームが崩壊。自分だけでは何もできないことに気づかされる。これが彼の経営哲学の原点となった。「チームを作らないと一人の力で何もできないことに気づきました」難局を乗り越える - 銀座店の立て直し26歳の時、須藤氏は大きな試練に直面する。銀座の店舗に異動を命じられたのだ。家賃250万円、売上800万円という大赤字の店舗。しかも、スタッフ全員が離職しそうなチームの立て直しを任された。「最初は断りました。失敗したら自分の責任になるので」と渋る須藤氏に対し、当時の社長は「必ずあなたのためになるから」と背中を押した。結果、彼は対話を通じて一人ずつチームを巻き込み、約1年かけて売上を約2,500万円まで伸ばすことに成功。このピンチを乗り越えた経験が、さらなる成長への原動力となった。「信頼関係を作る以外にない。自分が心を開いて、相手の心を開かせることに集中しました」マネージャーへの昇進と新たな課題店長として成功を収めた須藤氏は、次にマネージャーに昇進。複数の店舗を統括する立場となったが、ここでも新たな壁に直面する。「マネージャーは店舗に常駐してるわけじゃない。遠隔でコントロールしなければならない難しさがあります。熱も伝わらないし、正論を言えるけど聞いてもらえないことが多い」彼はこの状況を乗り越えるため、「店長のグリップを握る」という戦略を編み出した。「店長の味方になることがマネージャーの仕事」と悟った彼は、店長との信頼関係を築くことで組織全体をまとめあげていった。社長就任とコロナという試練32歳で取締役に就任した須藤氏。実は独立願望もあったが、「まだ経営としての力が足りない、この会社で経営を学べ」という森口氏の言葉に心を動かされ、会社に残ることを決意した。そして、2020年4月、36歳の若さで代表取締役社長に就任。しかし、それはまさに新型コロナウイルスが猛威を振るい始めた時期と重なった。「前社長はカリスマでした。みんな前社長が大好きだったんです」カリスマ的前社長の後を継いだプレッシャーに加え、「リーダーシップが発揮されていない」という指摘も受ける日々。そんな中、コロナ禍での営業自粛要請に疑問を持ち始めた須藤氏は、「お店を開けたい」と幹部会議で提案する。「もし何か問題が発生したら?」という反対意見に、須藤氏は熟考した末、自らの覚悟を決める。「万が一問題が起きても、私が全責任を取り、一生をかけて対応します」その言葉に、反対していた幹部たちも須藤氏の決意を理解し、賛同。ただし、2つの条件を掲げた。社員全員が納得することお店を開けて客が来るのは自分たちの力だと勘違いしないこと「お店を開けられることに感謝して、『種まき』をしてほしいと伝えました。当たり前のことを当たり前でないと認識することが大切です」この決断と社員の努力により、コロナ禍でも店舗は繁盛。「コロナ期に店を開けるとすぐに満席になり、コロナ後も売上は落ちていません」と語る須藤氏の表情には、自信と誇りが見える。飲食業の魅力 - 人を育てる場須藤氏が考える飲食業の魅力とは何か。それは「人を作るロールプレイ」だという。「飲食店は名前も知らない、初めて会った人をおもてなしする場所です。初めて会った人が望むことを事前に察知し、どうしたら喜んでもらえるかを考え実行する。そして即座にその結果がわかる」お客様からの良い反応を得ることで成功体験を積める飲食業は、単なるサービス業ではなく、人としての成長の場でもあると須藤氏は考えている。「初めて会った人を喜ばせることができるということは、社会に必要な人間になるということ。大切な人にも必要とされる人間になれるのです」飲食人の心 - 優しさに満ちた産業須藤氏が飲食業に魅せられた最大の理由は、「他人を幸せにできるから」だという。「飲食店を通じてこんなに多くの人の笑顔を作れるとは思いませんでした。仲間もお客様も含めて」彼によれば、飲食業に真摯に向き合う人々は皆、根底に優しさを持っているという。「飲食店を本気で好きな人で悪い人はいません。表現の仕方がきつくても、みんな本当は優しいんです」その愛にあふれる産業だからこそ、「優しさを伝えることができる人」「感謝を伝えることができる人」が今後も価値を持つと須藤氏は確信している。「人のために何かをするという魅力。それを表現できることは素晴らしいことです」波乱万丈のキャリア、そして今18歳で底辺からスタートした須藤氏のキャリアは、店長、マネージャー、取締役と上昇カーブを描き、社長就任前に一度下降するも、コロナ禍での決断と行動力で再び上昇。現在は充実した日々を送っている。彼の成功を支えてきたのは、高校野球で培った忍耐力と、人を惹きつける力だろう。困難な状況でも「あまりそこを引きずらない」というメンタリティも、彼の強みの一つだ。「スマイルリンクル第一章は森口と共に全員で突っ走ってきた歴史です。第二章は違います。長く残っているスタッフたちが10年後もハッピーでいられる、仕組みやステージを作っていく時代です」そう語る須藤氏の目には、次なる飛躍への情熱が宿っている。チーム作りを核とし、「関わる人々の笑い皺を食を通じて創造する」というミッションを掲げる彼の挑戦は、まだ始まったばかりだ。飲食業を支える原動力 - 承認欲求と成長須藤氏の飲食業への情熱を支える原動力の一つは、強い承認欲求だ。「ボスに認められたかった。結果を残すしかないし、がっかりさせたくないという思いがありました」この承認欲求が彼を突き動かし、数々の困難を乗り越える力となった。そして、その過程で得た成功体験と成長が、さらなる挑戦へと彼を駆り立てている。須藤氏が率いるスマイルリンクルは、明確なミッション・ビジョン・バリューを掲げ、従業員満足度を重視した経営を行っている。「従業員満足度がないと顧客満足度も上がらない」という彼の経営哲学は、銀座店の立て直しの経験から得た確信に基づいている。人生を変えた飲食業との出会い18歳で将来に迷っていた少年が、飲食業との出会いを通じて成長し、今や8店舗を率いる経営者となった。須藤氏の人生を変えたのは、飲食業という「人を育てる場」だった。「飲食業がなければ、私は人として終わっていたと思います」そう語る須藤氏の言葉には、飲食業への感謝と愛情が溢れている。そして、その思いは彼が育てたスタッフたちへと受け継がれ、さらに多くの笑顔を生み出している。人を喜ばせる喜び、チームで成し遂げる達成感、そして何より「ありがとう」という言葉の力。須藤氏の物語は、飲食業の本質的な魅力を教えてくれる。