海から食卓までつなぐ ― 北海道で独自の飲食ビジネスモデルを創造した大坪友樹の軌跡北海道札幌市を拠点に「港町酒場 もんきち商店」「産直大衆ビストロSACHI」や「シハチ鮮魚店」など複数の飲食店を展開するラフグループ。代表取締役の大坪友樹氏は、困難な環境から飲食業の世界に飛び込み、北海道の食材、特に鮮魚を活かした独自のビジネスモデルを構築した挑戦者だ。「食を通して地域の笑顔を未来につなぐ」という理念のもと、製造から物流、小売、外食までを自社内で完結する「一気通貫事業」を目指す彼の軌跡を追った。幼少期から形成された原点と価値観大坪氏は北海道網走の美幌町で生まれた。祖父が経営する釣具屋で幼い頃を過ごし、ワカサギ釣りをしたりしながら育った。この釣具屋のルーツが後の事業展開にも大きく影響することになる。3歳の頃に両親が離婚。母親の再婚後も両親は仕事で忙しく、家庭環境は決して恵まれたものではなかった。「小学生の頃、母も父も仕事でほとんど家にいませんでした。妹と二人で、レンジで温めるだけの食事をとる日々。会話もなく、ただ生きるための食事でした」そんな中で年に数回だけある外食は特別な体験だった。びっくりドンキーで食べる食事は、単なる栄養摂取ではなく「楽しみ」だった。この体験が、後に飲食業を志す原点となる。札幌で中高時代を過ごした大坪氏。治安のあまり良くない地域に住み、家庭の経済状況から、新聞配達などのアルバイトをしながら学校に通った。朝は新聞配達、昼は学校、夜は部活という生活を送る中で、周囲には裕福な家庭の子どもも多く、「いつか見返してやる」という思いが彼の中で芽生え始めていた。高校に入ってからは周囲の友人に影響され、顔グロ、メンチェックやカラーパンツが流行る中で、やんちゃな一面も出始める。アルバイトで稼いだお金で遊び、高校生活を謳歌した時期もあった。飲食との出会いと青春高校時代、より多くの収入を得るために選んだのが居酒屋でのアルバイト。当時通っていた私立高校は裕福な家庭の子どもが多く、彼らに負けないように自分で稼いだお金で遊んだ。しかし、アルバイト先では単なる収入源以上のものを見つけることになる。「お金を稼ぐために始めた居酒屋のバイト。でも気づいたら、食べることは楽しむことだという価値観に目覚めていました。食事は人生の中で、一日の中で、一週間の中ですごく大切なコミュニケーションの軸だと感じるようになりました」北海道情報大学に進学した大坪氏。本来は広告や企画の勉強がしたくて入学したが、「情報」という言葉に惹かれて選んだ大学はパソコンが中心のカリキュラムで期待とは異なっていた。それでも大学時代も和食店でのアルバイトを続け、接客の腕を磨き、常連客をつかむ術を身につけていった。「60席ほぼ自分たちのお客さんで埋まる」状態になるほど接客力を高め、その人脈がのちの飲食店経営の礎となる。安定を捨てた起業への道北海道情報大学を卒業後、大坪氏は大手家具商社に就職。とにかく一番になることに執着し、新入社員アメリカ研修ではストアコンパリゾン最優秀新人賞を獲得した。何かにのめり込む能力は、この時から顕著だった。しかし飲食の世界への興味は冷めることがなく、24歳の若さで退職し、飲食店経営の道へと飛び込む決断をした。「上場企業の正社員という安定した立場を捨てるのは周囲から見れば無謀でした。でも、このまま行っても本当に豊かになれるとは思えなかった。それに飲食の楽しさを忘れられなかったんです」退職する際、会社に残る社員たちや友人や親族から「なぜやめるのか」と言及され、「いつか見返してやる」という思いがさらに強くなった。年収でも会社に残った同僚たちを超えることが次の目標となった。最初の店舗は、札幌市の住宅街・澄川の路地裏。オープンから1ヶ月後の手持ち資金は残り3万円という綱渡りだった。立地条件の良くない場所での船出だったが、大学時代に培った接客ノウハウを活かし、顧客との強い絆を構築していった。苦難の道のりと転機最初の10年は決して平坦な道ではなかった。徐々に店舗数を増やす中で、様々な困難に直面。繁華街への出店も失敗し、経営は厳しい状況が続いた。「最初の10年はジリ貧でした。お客様に喜んでもらえる店を作りたい、スタッフの雇用を守りたい。という思いが強すぎて、自分たちのスキルに合わせずに店舗を出してしまったり、戦略的ではない判断をしていました」そんな中、2016年頃から生まれた転機。実家の釣具屋ルーツに立ち返り、「魚」をテーマにした店づくりに舵を切る。北海道各地の漁港を訪れ、漁師との関係構築を模索。しかし、最初は苦戦した。「最初は『応援してるから魚送ってやるよ』という関係でした。漁港側に経済メリットがなかった。それに気づいて、まずは卸売市場から仕入れることからスタートし、徐々に仕入量が多くなるに連れて、改めて各漁港の方々と直接取引のルートを開拓していきました」コロナ禍から生まれた新たな挑戦2020年、新型コロナウイルスの感染拡大は飲食業界に大打撃を与えた。売上は激減し、大坪氏の経営する店舗も危機的状況に陥る。「あと6ヶ月くらいで終わるなと思いました。でも、ここで貧乏魂に火がついた。テイクアウト、デリバリー、小売と考えた時に、魚屋にしようと思い立ったんです」この危機がチャンスに変わる。「シハチ鮮魚店」の展開や海鮮丼の開発など、新たなビジネスモデルを次々と生み出していった。特に「本日の海を知れる11種の海鮮丼」は、SNS映えする華やかな見た目と手頃な価格が消費者の心を掴み、人気商品に成長。また、持続可能な漁業への関心から、2048年問題(海の資源枯渇問題)に着目。「SHIHACHI」というブランド名を通じて、環境配慮型の事業モデルを模索し始める。産直からSPA戦略へ大坪氏の経営哲学の核となったのが、サラリーマン時代の家具商社で経験を活かした「SPA戦略」(製造小売業)の飲食版だ。従来の流通ルートに頼らず、産地から消費者までを直接つなぐ仕組みづくりに注力した。「お客様に商品をお求めやすく提供しつつ、どうやって利益を出してスタッフに還元できるか。材料費と人件費以外のコストを抑えるために、生産地から飲食店までの流通コストをカットする取り組みとして産直を始めました」産地から直接仕入れることで中間マージンや流通コストを削減し、高品質な食材を適正価格で提供する仕組みを構築。さらに、漁師が地元でしか食べていない珍しい魚を発掘し、付加価値を創出する戦略も展開した。「あなたがいてくれてよかった」を届ける現在、ラフグループは「製造から物流・企画、小売、外食までのすべてのプロセスを自社内で完結する一気通貫事業グループ」を目指している。「私たちの生まれ育った北海道は、まだまだ魅力が眠っています。食を通した魅力的な北海道づくりを全社一丸となって具現化していきたい」と大坪氏は語る。企業理念である「あなたがいてくれてよかった。を本日もより多くの方へお届けする」には、幼少期の大坪氏が体験できなかった「食を通じた人とのつながり」を提供したいという思いが込められている。「食事は特別な場でもあり、日常でもある。お客様同士、スタッフとお客様、生産者と消費者をつなぐ場所です。そこに携われることは、私にとって天職だと感じています」大坪氏にとって飲食店は、人と人が出会い、何かが生まれる場所だ。幼少期の食の原体験と、もともと持っていた企画への情熱が結びつき、飲食店を軸とした食の事業にのめり込んでいる。人々の交流の場を企画・提供することに喜びを見出しているのだ。飲食業の未来と次なる挑戦大坪氏はコロナ禍を経て、飲食店の単純な拡大戦略には疑問を持つようになった。外食産業の将来を見据え、「製造小売業」としての発展を模索している。「飲食店を100店舗展開すれば良いというわけではなく、北海道の食の可能性を広げる多角的な事業展開が必要だと考えています。社会性と経済性、両方が求められる時代になってきました」かつて上場企業の同僚たちに「見返してやる」と思っていた大坪氏だが、今は「最大のライバルは過去の自分」と語る。飲食を通じて地域活性化に貢献し、北海道の魅力を全国、そして世界に発信することが現在の目標だ。「北海道、札幌を世界一魅力的な町にする」その野望を実現するため、大坪氏の挑戦は続いている。